京ごふく二十八

【着付け、こわい。】

着付けについて、ちょっときついことを書きますので、怒る方は読まないでくださいね。こんなこと、書かなければ良いのかも知れませんが、ちょっとした着付けの細部にも厳しく指摘されている師弟関係のシチュエーションに遭遇したため、思うところあって記します。

 

私の個人的な考えですが、これまでと同じ『昔ながらのキッチリした完璧な着付け』を続ける先生は長いスパンの中で少しずつ淘汰されるものと考えています。

もちろん、必ず一定数は完璧な着付けニーズがあるので完璧にできる着付け先生は、美容室さんなどを含めて30〜40%程度残ると思います。

 

 

ただ、これから1番尖った部分で先進的にやれる着付けの先生は、

【ちょっとユルい着付け】

を広められる先生だと私は考えています。ご自身がそういう着付けができるのはもちろんのこと、身体的特徴の異なる生徒さんにもそういう着付けを教えられるというのはすごく高いレベルです。

 

 

着物離れを促進する理由、「呉服屋が怖い」というのが最大の原因ですが、「着付けが怖い」ということもそれに準ずる原因だと思います。着付けが怖くなる理由は、着物でのお出掛け先や、さらには道端で全く知らない人達から着付けを注意されるからです。それらの人々は着物憲兵、着物警察などという名前で恐れられています。そうした人々を産み出しているのが、完璧な先生が教える着付け教室だと思うわけです。

 

何でも研究熱心な方々は、「着付けもより美しく!」ということで研鑽を重ねて来られ、確かに現代の着物好きがその恩恵を受けていることは間違いありません。ただ、時代の変化もあって、よりゆったりした着付けをこれからのトレンドにした方が人気が出るものと思います。現代の着物ニーズがカジュアルにあることは間違いないのですから。

 

それで言うと、昭和の時代の着付けはかなり大らかなものだったと思います。もちろん私も皆さんと一緒で、今見るとちょっとだらしないなと感じる部分もあります。

しかしながら、私のお客様な中でも、ちょっと衿元をゆったりさせた着付けで、ものすごく素敵に着こなされる方々がおられます。ご自身の雰囲気に合わせて、何とも言えず、衿元がフンワリしてるんですよね。これはちょっとやそっと着た若い女性では真似できない素敵な着こなしだと常々思います。

 

ここで大胆な考察を。

今の常識で言うところの「完璧な着付けができる先生」というのは、言い換えれば、『柔らかい、優しい、フンワリした着付けができない先生』と言えるでしょう。

柔らかい、優しい、フンワリした着付けができない先生なのだから、当然生徒にも教えることができません。

 

 

是非お若い先生方にこの『フンワリした着付け』を追求してくださる方がいらしたら嬉しいです。

念のためですが、私の申し上げている着付けは、衿元がはだけてぐちゃぐちゃになっている着付けではなく、きちんとお召しになっているけれど、適度に力が抜けた着付けという意味です。加えて若い人が浴衣や着物を着ていて、はだけてぐちゃぐちゃでも構わないとは思います。

もし着付けの先生でも、呉服屋でも、自分が完璧に出来ると思うなら、完璧をお伝えすべき人と若い初心者に対する寛容さと両方を持ってくださればと願います。京都、浅草のレンタル着物を着ている若者達は、着物業界が感謝してしかるべき大切な存在です。

 

 

【呉服屋、こわい】というブログとどちらを先に書こうか考えましたが、ちょっと着付けについて思う機会があったのでお先に書いて失礼しました。もちろん完璧着付けの先生、先達の方々には敬意を表しつつ、「現代の着付けは完璧です!」という世界を一歩抜きん出て、もっと着付けを進化させて頂けましたら嬉しいです。