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紀子妃殿下のお着物の凄さをまずは知って頂きたい(於 イギリス戴冠式)

先日、お客様から「イギリスの戴冠式で紀子様がお着物をお召しだったけど、小池都知事がオリンピックで着物を着た時のような解説記事は書かないの?」とお尋ねがありました。

我が家はテレビもなければ、ネットニュースもあまり見ておらず。せいぜい日経新聞しか目を通していないこの頃だったので、このニュースに接したのがすでに5日遅れでしたが、ネットで調べると、着付けがどうだとか、生地が薄いからシワがすごいとか、「いやいや、それはちょっと・・・」というご指摘を数多く目にしました。

最初に一つ断っておきますが、皇族の方について記事を書くのは僭越過ぎて、私には非常にハードルが高いことです。ただ、逡巡をしながらも、自分の専門分野ゆえ見て見ぬふりもできず、今回は意を決して書きたいと思います。

https://8760.news-postseven.com/93876

まず、私が何者かということで言えば、2014年、京ごふく二十八(ふたや)を京都に創業した原巨樹(はらなおき)と申します。雰囲気はこちらのインスタグラムでご覧ください。

https://instagram.com/futaya28?igshid=NTc4MTIwNjQ2YQ==

生地について

紀子様の訪問着にシワが見受けられたので、生地が軽かったのではないかというお話が出ていました。

生地の軽重、それは実際どうかわかりません。わかりませんが、シワという観点だけで言えば、着物は布なのでどんなにどっしりした生地の着物を着てもドレープは出ます。写真を撮るタイミングで、シワが見えない瞬間の写真もあったと思います。

生地について言えば、確かに友禅職人はどっしりとした生地の方が良い色が出ると言いますし、実際、地色(じいろ:着物全体の色)は生地の厚みや織り方の影響を強く受けます。

ただ、毎日のようにお召しになる方にとっては、重たい生地よりも軽い生地が着ていて快適だと言います。90代でお亡くなりになった大御所の染織研究家の先生も「歳をとると軽い生地が良いのよ」と教えてくださいました。

確かに私は重たい生地で良い色、良い染めを追求していますが、オーダーでお作りくださるお誂え主から軽い生地にして欲しいとご要望があれば、軽めの生地でお作りします。

そのようなわけで、生地が重いとか軽いなんていうのはお好みの問題だと思いますし、その呉服店や悉皆屋さんのご意向なので、なぜそれを選んだかは尋ねてみないとわかりません。

紀子様の訪問着を作った悉皆屋、職人は現代最高峰の人たち

さて、最初に少し京都の呉服業界の流通について説明しましょう。京友禅の流通は、

職人 ⇨ 悉皆屋(しっかいや) ⇨ つぶし問屋 ⇨ 前売り問屋 ⇨ 呉服店 ⇨ お客様

といった経路を通ります。その中でも私は悉皆屋と呉服店という製造と販売の両方をやってる珍しい人間なので、だからこそ今回の件には一言物申したいのです。

悉皆屋とは

まずは悉皆屋(しっかいや)という耳慣れない職業について説明します。

京友禅で訪問着を作る場合、15~20工程(下図)を経て完成します。それぞれに専門の職人がいて、京都市内のそれぞれの場所で仕事をしているので(下の空撮写真)、真っ白い生地を最初の工程から順に持って回って、染める段取りをするのが悉皆屋という仕事です。

京都市街地の空撮写真。二十八を手伝ってくれる友禅職人の所在地や、水系の解説。

京都市内をあっちに行ったり、こっちに来たりしながら、一つの反物が染まっていきます。

 

興味深いことに、レベルの高い職人達が揃っていても、悉皆屋の能力次第で、優品にもなれば駄作にもなり得ます。一つの反物を染める職人達には、横の連携が全くないので、間を取り持つ悉皆屋は非常に重要なポジションです。散在する職人を有機的に繋げて、エコシステムにする扇の要が悉皆屋であり、オーケストラの指揮者や、映画監督にも似ています。

ちなみに悉皆とは、悉(ことごと)く皆をやるという意味で、染めにまつわることをなんでもやるのが悉皆屋。悉皆厄介(しっかいやっかい)という言葉もあるぐらい、厄介ごとを一手に引き受けて京都の街を走り回ります。草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)という仏教用語が語源です。

どこの呉服店、どこの悉皆屋さんが作ったのか

実は弊社の商品を作ってくれている職人さん達は最高の技を持つ人たちなので、最高の仕事ばかりが届けられます。見ようとしなくとも、職人宅を訪問すると、その時、仕事をしている反物が広げられているので、見ようとせずともなんとなく他社商品が見えてしまいます。

その観点から、紀子様の訪問着について言えることは、とある京都の老舗呉服店(仮にA呉服店とします)が取り扱い、とある腕利きの悉皆屋さん(同じくB悉皆屋さん)が作られた品物に間違いないだろうなと推測します。その呉服店は皇室のお仕事を長年されて来た老舗で、お誂え(オーダーメイド)のノウハウもお持ちだと思います。

そしてB悉皆屋さんこそ、現代における古典の着物を作る最高峰の悉皆屋さんだなと私は常々思って来ました。もちろん見る人による好みはありますが、このB悉皆屋さんが作れば、常に優品が出来上がります。

なお、この記事は誰に許可を取って書いているわけでもないですし、私の推測に基づくエッセイなので、仮名のまま進めます。

B悉皆屋さんの凄さ

京ごふく二十八も、今でこそ最高の職人さん達のお陰で最高の商品を染め上げられるなりましたが、修行期間には試行錯誤の連続で、本当にできるようになるかどうかと悩み、職人さん達にも日々相談していました。

それも初期から最高の職人さん達だけに頼んでいたにも関わらず、陰では多くの失敗を試作として積み重ねたのです。これこそ私の悉皆屋としての実力不足ゆえのこと。先述の通り、最高の職人に頼んでも、悉皆屋次第でその商品の運命が決まるということを我が身に実感していたからこそ、このB悉皆屋さんのすごさを思い知っています。

このB悉皆屋さんの凄さ、ここで3つだけ述べたいと思います。

1.趣味の良さ

とにかくセンスが良いということに尽きます。上品で、くせがなく、誰が見ても良いと思える古典的な着物を作らせたら抜群です。配色も正統派の極みで、主張は控えめなのに味わい深さは十分です。フグの刺身のような、推古仏のような、まぁとにかく文句のつけようのない品物です。

おもしろいことは、こうした悉皆屋さんも、卸す先(問屋や呉服店)の好みに合わせて、多少ながらデザインや色遣いを変えます。でも、どのぐらい変えるかと言えば、ご自分の好みが100だとすれば、80〜95ぐらいに抑えて、発注主の好みを5~20%入れるのです。なので、少し違うと言えば違うのですが、これだけ趣味の良い友禅染めはおそらくB悉皆屋さんの品物だろうなと推察できるのです。

ちなみに紀子様のお着物については、A悉皆屋さんのお好みが80で、A呉服店のお好みが20%という印象です。

2.挿し友禅の色

挿し友禅の色というのは、着物の柄部分の色のことです(下写真の筆で彩色しているところ)。

どの職人が染めるか

着物の大きな印象を決めるのは地色(着物全体のベースカラー)ですが、プロ目線で言えば、柄の色(挿し友禅)は悉皆屋の個性がものすごく出るところです。これで悉皆屋としての個性が主張されます。では、何が挿し友禅の核心かと言えば、どの職人が染めるかに尽きます。

挿し友禅の職人は、修行した環境、仕事をしてきた環境により、使う染料と培ってきた技とセンスにより仕事をします。センスや技も当然大切なのですが、適切な染料を持たないと、何時間、何日こねくり回しても良い色にはならないそうです。それはもう修行した環境が全てなので、B悉皆屋さんが認める挿し友禅の職人さんはほんの一握りです。

割れている挿し友禅の色

「挿し友禅の色が割れている」と言っても、なんのことかさっぱり分からないと思いますのでご説明します。

こちらの写真、葉っぱの先は薄い色で、根元は濃い色を重ねています。その間がグラデーションになっていて、これをぼかし染めと言い、挿し友禅でも非常に大切な技術です。

通常、葉っぱを染める時に黄味の緑を使うなら、その濃淡、同じ系統でぼかし染めをします。その方がストレートで綺麗に仕上がるからです(下図)。

ただ、紀子様のお着物を染めているB悉皆屋さんの場合は、ほんのわずかだけその緑の系統をずらしているようです。わかりやすく例えるならば、黄味の薄い緑(下図左:先ほどと同じ色)に、青味の濃い緑(下図右)を重ねてぼかし染めをするのです。

そうするとどうなるかと言うと、若干馴染まず、染料がイライラっと割れていくような感じがして味わい深い染めになります。それが行き過ぎると嫌な感じになるのですが、その少し手前で止まるような塩梅が絶妙な加減だということです。

この割れている友禅の色は、写真で見てもよく分からないと思いますが、私が実物を見てもやはりよくわかりません(なんだそれは!という感じですよね)。

ただ、なんとなく薄い色でも深みがあって、不思議と良い感じがします。熟練した職人が、やり過ぎる手前の紙一重でやっていることなので、聞いたからと言って真似のできるものではありません。こういうのをもしかしたら神業というのかもしれませんが、私がその説明を聞いて見ても「そう言われればそんな気がしなくもないですね」というぐらいの微差です。なので、きっと皆さんもパッと見て判断がつくようなレベルの差異ではなく、なんとなく良い品物ですね、としか言えないような微差なのです。

こういう色が割れたような挿し友禅のことを教えてくれた職人さんがいるのですが、やはりその人も途轍もない達人です。達人同士は相手のやっていることがわかるんでしょう。いつも他の職人さんでは説明できないようなことを教えてくれます。

紀子様がロンドンでお召しになったお着物は、そこまで挿し友禅のぼかし技が多用されているのではないかも知れませんが、その中でも赤い松(ピンクの丸)は色が、少し割れている友禅っぽい気がします(実物を拝見していませんので自信なし)。

余談ながら染料のこと

さらに余談の話になってしまいますが、染料のことについて一つ。

今回の紀子様の訪問着も、若干地色のぼかし染めが入っています。地色のピンクベージュをやや濃くしたような部分です(上の写真、黄緑の矢印)。

これは地色とグラデーションになっていて、ぼかし染めと言います。下の写真がぼかしの着物で、黄色い線のグラデーション部分(ぼかし足)が長いほど上手いぼかし染めです。

様々な染料を混ぜて地色を作るのですが、このぼかし染めを綺麗に仕上げるためには、生地を走る速度がなるべく一定の染料を買い揃えておく必要があります。

わかりにくい説明ですが、染料によって生地を走る速度が異なるのです。例えば、赤と青の染料を混ぜてぼかし染めをした場合、染料の粒が揃っていれば、乾く時に一様に乾いてくれるのでムラがあまり出ません(写真①)。赤と青の染料が生地を走る速度が違うと、乾き始めたところに足の速い染料が先に集まってしまってムラになります(写真②)。おそらく粒子の大きさや形の問題で足の速さが異なるのでしょう。

そんなわけで京ごふく二十八で頼んでいる引き染め屋さんは圧倒的にぼかし染めが上手な職人さんなのですが、おそらく様々な染料の足の速さを揃えているからこそ、綺麗なぼかし染めができているのだと思います。

以上のように聞くと、じゃあ何でもかんでも染料の足の速さが揃っていれば良いのだろうと思ってしまうのですが、先日、とある悉皆屋さんに聞いた話では、この染料の足が揃わない良さもあるとのこと。走る速さがマチマチの染料を混ぜて染めると、まさしく先ほど述べたように、色が割れるギリギリのなんとなくムラがあるようなモヤモヤっとした感じの味わい深い地色になるそうです。

ただ、こうした職人さんはセオリーがあまり無いらしく、極端な言い方をすれば無茶苦茶な色の混ぜ方をしているので、同じ色を出して欲しいと頼んでも出せないらしいです。お誂えには向きませんが、一発勝負で構わない着物でトライしてみたいと思わせてくれます。

職人さんが言うには、同じ品番の染料を長年購入していても、「なんとなく染料の面構えがちゃう(違う)時があるんですよ」とのこと。私は料理をしないのでよくわかりませんが、多分、中力粉と薄力粉よりもわかりにくい差を見分けるような眼を持っているのだと思います。我々呉服屋、悉皆屋が見ても、なんのことやらわからないことを、敏感に捉えて仕事をしてくれている職人さん達には、尊敬の念を禁じ得ません。

3.全ての工程で最高の職人と繋がっている

B悉皆屋さんの凄さ3つ目は、最高の職人さんとだけ繋がっていることです。下絵も上手い、糊置きも上手い、挿し友禅も先の通り、引き染め、金彩、刺繍、どれも素晴らしい職人さんとだけ繋がっているからこそ、最高の染め上がりとなるのです。

これにはB悉皆屋さんのとてつもなく厳しい視点があってこそ。また、職人さんにご自分の作りたい商品の明確な方向性を伝えられるからこそ、様々な職人さんを束ねても、どこかB悉皆屋さんの作風が表現されます。

私も素人ではないですが、ベテラン悉皆屋さん達が相談している内容を聞いていても、何のことを言っているのやら、用語も含めて理解できないことがあります。何しろ早口だったり、ボソボソっと喋っていたりで聞き取れないこともあるのですが、ベテラン悉皆屋さんと職人さんは意思疎通が取れているので、私の知識の問題でしょう。B悉皆屋さんとトップの職人さん達は、何年も、何十年も一緒に仕事をしていると阿吽の呼吸というものができているからこそ、最高の着物が染められます。

以上、紀子様の訪問着を染めたであろう悉皆屋さんの凄さを3つに絞ってご紹介しました。

余談:最高の職人に[頼まない]悉皆屋

面白いなと思った余談を述べますが、「良い職人を揃えたら、良い着物が作れるのは当たり前だ!」と主張する悉皆屋さんもいます。「あまり上手くない職人を集めても、それを適材適所で上手い職人さんとも組み合わせつつ、低予算であっても良品に仕上げられるのが悉皆屋の真骨頂だ!」と言う見解です。映画で言えば、役者を揃えたハリウッドの超大作ではなく、「カメラを止めるな」みたいな着想の面白さや、監督や現場の力で作り上げる映画に似ています。

これはこれでまた真実をとらえているようで、私も大変考えさせられました。問屋さんに卸す商売は値段の上限が厳しいので、最高の職人さんに頼んでいると、値段がオーバーしています。そこで、腕が最上ではないものの工賃を抑えている職人さんに頼みつつ、最後のお化粧をするような工程では腕利きの職人に持って行って及第点に仕上げるのです。

どちらが正しいということはないのですが、いやはや奥の深い仕事だなと思います。

京ごふく二十八の悉皆屋としての現在地

こうしたB悉皆屋さんと比較すると、京ごふく二十八の悉皆力はまだまだ実力不足です。何しろ職人さんに自分の好みをはっきり伝え、シビアな物作りについて職人さんを指導する技術も見識も持ち合わせません。

ただ、最高の職人だけと付き合えているがために、最高の商品を作れているだけです。

今、60〜70代の職人さん達が言ってくれるには「自分たちも駆け出しの頃から壮年の頃まで、職人の師匠だけではなく、ベテランの悉皆屋さん達に指導をしてもらって今がある」ということです。だから、自分たちの知っていることを、若い悉皆屋である私に伝えてくれています(昭和55年生まれですが、最若年の部類に入ります)。悉皆屋として染めの数を重ねなければ経験値ができないので、これから10年、20年と経て、私が成長し、若い職人達に指導できるようになることが重要です。

それは私も職人の後継者育成の一部になれるということであり、私にとっては心揺さぶられる光栄なことです。

お召しの訪問着について

https://8760.news-postseven.com/93876/2

ここまで、紀子様がお召しの訪問着について、私の立場から見える制作面のことを書きました。もちろん色や柄について、最もらしく書こうと思えばいくらでも書けますが、長くなってしまうのでサラリと。

・小振りの松と、それよりも少し大きな松が強弱を付けて描かれているのが面白いなと思います。

・袋帯のコーディネートなんて完璧すぎて非の打ち所がありません。袋帯の地色が黒だと印象が強すぎるところ、金糸や色糸の面積が多いので、優しい印象になっているからこそ、こちらの訪問着にもぴったりです。

この記事を読んでくれた人は、私が着物や職人技に詳しいと思うかも知れません。ですが、職人さん達は、それぞれの道で私が知っていることの軽く100倍は詳しいです。

最初の工程表にもあった通り、分業制の京友禅は、それぞれの工程に一生を賭ける職人達が染め上げます。1人の人間が全工程をやったとするとせいぜい100年の時間しかかけられませんが、分業でベテラン達が技を染め重ねる京友禅は、500年、1000年という時間が積み重なり、そこがすごいところなのです。

紀子様のお着物姿からも、そこを汲み取って頂けると嬉しいです。

 

ドレスコードについて

紀子様がお召しだったのは三つ紋付きの訪問着でした。確かに着物の中では五つ紋の色留袖が最上級(黒は喪の色なので、皇室では黒留袖を用いない)ですし、和装よりも洋装が皇室における最上級のお召し物です。

ただ、今回の戴冠式でご臨席の皆さまのお召し物を見れば、王族の中には民族衣装の方もいらっしゃるし、席に着いた方々の中にはダークスーツ程度の方もいらっしゃるようだったので、3つ紋の訪問着で十分に丁寧な装いと言えるのではないでしょうか。着物に付ける家紋は無し、1つ、3つ、5つで多いほど格上です。

和装で世界に出てはいけないのか

確かに日本人にとっても、和装は一般的ではなくなりました。私が20〜30代のころ、男性で着物を着ていると奇異の目で見られることもよくありました。

ただノーベル賞を受賞された本庶佑教授が和装で授賞式に参列して、高い評価を受けたことも記憶に新しいと思います。

 

皇室の正装は、洋装を第一とされています。

ただ、なぜ明治天皇が洋装を第一礼装にされたのかと言えば、幕末に開国を迫られ、欧米列強がアフリカ、アジアに対して続けていた侵略に対峙するには、西洋に負けじと富国強兵をしなければ日本の存続が危ぶまれるから。それをトップダウンでやり遂げてくださったのだと思います。

では、現代、すっかり西洋化して、「何が日本の本質なのか」さえ危うくなった今の日本に、引き続きその西洋化を続ける必要があるのか。

1980年代から現代にかけてのことを書けば、80~90年代は引き続きアメリカ文化や経済力が隆盛を極めた時期。ただ、次第にその力も衰えて、2000年代以降、世界をリードし切れているとは言えない状況。確かに90年代はじめぐらいまでは映画にしても音楽にしてもアメリカ文化が圧倒的存在感を持っていました。日本もそのお陰で発展したのですが、その一方で西洋化の弊害をよく感じます。

谷崎潤一郎の陰翳礼讃には、江戸時代の日本文化が現代に進化する未来もあったはずだと書かれていました。畳敷きの病院や、筆タイプの万年筆(これは現代の筆ペンとして実現)が生まれても良いのではないかと。

いつか皇室の第一礼装が着物となる時代になるよう密かに祈ります。

新編 宮中見聞録 木下道雄著

ここから先は着物と関係ない話で、好き嫌いも分かれると思いますので、ブラウザを閉じて頂いても構いません。ご紹介する元侍従次長の木下道雄さんが書かれた「宮中見聞録」は、昭和天皇の知られざる、非常に胸を熱くするエピソードがたくさん詰まった本です。

いろんなエピソードがありましたが、今回、紀子様のお着物で思い出したのは、昭和天皇が鹿児島沖をお召船で夜間に通過される時のことです。鹿児島の海岸には見えるはずもない陛下を慕って、多くの市民が篝火と共に集まっていたそうです。見えるはずもないほど遠い夜の海上ですから、木下侍従次長に限らず皆が船内に待機していたところ、木下侍従次長がふと甲板に出てみると、そこには昭和天皇が鹿児島の海岸に向かって敬礼しているお姿があったそうです。

見える見えないということに関係なく、陛下を慕い集まる日本人と、見ているかどうかはわからなくても「ありがとう」とご返礼する昭和天皇のお姿に、皇室と日本人の長年にわたる信頼関係を思わずにいられません。徳川家の二条城には防御のためにお堀が必要でしたが、京都御所にはお堀が無いのに、皇室が京都で1000年も続いたのは国民との信頼関係によるものでしょう。

皇室について裏表なく、徹底的に議論をするのは重責を担う宮内庁、政府であってもらいたいと思います。

今回に限らず、常日頃の皇室に関わる報道を見ていると、「皇族の方が国民に理解してもらおうという努力が足りないから、国民である自分たちが愛せない」という意識を感じます。それは一面正しいのかも知れません。ただ、自分は努力もせず「妻に努力が足りないから愛せないんだ!」という旦那と同じ意識とも言えないでしょうか。

もし今回の件で、「皇族はもっと国民に理解してもらえるように努力すべきだ」という意見があるとすれば、それは皇族の方々が持たれるべき意見であり、国民が最初から持つべきではないものです。

その一方、「皇族は多くの一般的な権利を生まれながらに許されておらず、大変な公務をやっているのだから多少のことは目をつむるのが妥当だ」という意見があるとすれば、それは皇族の方々が持つべき意見ではなく、国民側が持つべき意見でしょう。

そんな「信」に溢れた日本になっていきたいものです。

以上です。

こういう僭越なことを書くと、お叱りを頂きそうな方々のお顔が思い浮かんでしまいますが、私なりに心をこめて書きました。

皆さんには大切なお時間を使ってお読み頂きまして、感謝申し上げます。

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この記事を書いた人
原 巨樹 (はら なおき)

京ごふく二十八代表。2014年、職人の後継者を作るべく京都で悉皆呉服店として起業。最高の職人たちとオーダーメイドの着物を作っている。

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