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しきたりColumn

【本庶教授ノーベル賞】着物を着ないチョイスが時代遅れになり始めている5つの理由

京都大学の本庶佑(ほんじょたすく)特別教授がノーベル賞(生理学・医学賞)を受賞されました。しかもノーベル賞の授賞式に和装で臨まれたということで、1つの良い機会と思いまして、私が普段考えている海外のフォーマルシーンで「着物を着ないチョイス」がそろそろ時代遅れになり始めている5つの理由をまとめたいと思います。

長い文章になってしまったので、太字だけの拾い読みでもご理解頂けると思います。

欧米を模範として来た日本の近代

川端康成さん以来50年ぶりの和装

ノーベル賞授賞式において、日本人が和装をするのは川端康成さん以来、なんと50年ぶりのことだそうです。その背景には明治維新の富国強兵にはじまり、戦後の高度経済成長とともに、着物という合理的ではない衣類を捨て去ってしまい、和装がどこか遠い国の話のようになってしまっていることがあると思います。

政治家、ビジネスエグゼクティブは世界基準の教養、マナーを身につけるべき

もちろん仕事によっては洋服が必須の方々もおられます。たとえばビジネスエグゼクティブ、さらには政治家が好感を与えられる装いをして、グローバルスタンダードのマナー、立ち居振る舞いを身につけることは国益にも関わることです。プロトコール(外交儀礼)の専門家にも一層ご尽力頂けたらと思います。

日本人の洋装は150年たっても根無し草

私は呉服屋なのでフォーマルの洋装ルールはよく分かりませんが、一般的日本人にとっても同様だと思います。今回の報道を見ていても、日本の洋装は未だにしっかりした文化として根付いていないことがうかがい知れます。

報道でさえ洋装のルールを間違う

こちらはニュース画像です。日本を代表するような大手の放送局や新聞社でも「ノーベル賞では【タキシード】ではなく和装を、、、」という表記でした。

ノーベル賞の授賞式や晩餐会で着用されているのはタキシードではなく【燕尾服】のはずです(平和賞など例外あり)。燕尾服が正装、タキシードが準礼装だとして、王族の方々が燕尾服を着てらっしゃる中、受賞者がタキシードを着用することはないはずです。

重箱の隅を突つくようなことを書きたいわけではなく、こうした文字が報道に並ぶのも、日本人が洋装のルールに不慣れな証左で、「なんとなく正式な服装といえばタキシード」というぐらいの感覚だからでしょう。

日本のガラパゴスな洋装

そもそも洋装の歴史も文化も持たない日本では、独自に発展を遂げたルールがあります。

・ワイシャツの下には肌着を着る(本来はワイシャツが肌着だが、日本の高温多湿の気候に合わせた習慣)

・花婿はタキシード(タキシードは夜に着るものだが、結婚式が午前でも午後でもタキシードを着る)

・結婚式の参列には黒いダブルのスーツに白ネクタイ

普段、こんな日本のルールで装っていて、いざ、いきなり欧米のパーティに招かれても対応できないというのが実際の所です。

「装う」とは本質的にどういうことか

さて、ここで「装う」ということについて1つの考察をご紹介します。イメージコンサルタントで『NYとワシントンのアメリカ人がクスリと笑う日本人の洋服と仕草』を著した安積陽子さんはインタビュー記事でこのように述べています。https://news.nicovideo.jp/watch/nw4308246

洋服の歴史やひとつひとつのディテールの意味合い、なぜ私たちは洋服を着ているのかなど、本質的な部分を教わることは、ほぼありませんよね? 少なくとも、私の学生時代はそうでした。

でも考えてみてください。着物を着るためには、それぞれのパーツの名称や役割をしっかりと学び、着付けの方法を学ばなければ、我流ではけっして美しく着ることができません。洋服だって同じなのです。服を纏うということは、その服が生まれた国の文化や歴史を纏うということなのです。

明治以前のように、日本の人々が着物に戻るということはもう無いと思いますので、各々が洋服と向き合っていく必要があると、私は考えます。

まさしくこの通りで、単純に外見をそれっぽく真似しただけでは恥をかく可能性も大いにあるのです。

どの国のルールに合わせる?!

ただ、洋服の文化や歴史、着こなしを学ぼうと思った時に1つ問題があります。国によって洋服のルールが違うということです。アメリカ人にクスリと笑われなかったとしても、イギリス人にはクスリと笑われるかも知れません。一例ですが、タキシードのことを、国によってはディナージャケット、スモーキングなどと呼ぶそうです。スーツもイギリス風、イタリア風、アメリカ風で異なります。

燕尾服やモーニングからスーツまで、諸説あっても、その起源はイギリスということになるのでしょう。ただ、どの国に滞在するかは人によりますし、日本のテーラー、スーツ屋さんでも国際的なプロトコルを全てカバーしながらがお薦めできる人が果たしてどれだけいるのでしょうか。

 

海外のフォーマルシーンで和装が最適な理由

こうしたことを踏まえると、私は海外のフォーマルシーンにはやはり和装が最適と考えます。その理由について、本庶特別教授のノーベル賞受賞を一例としながら、和装が理に適っている理由を述べたいと思います。

理由1:海外の人は和装のルールがわからないので、絶対に恥をかかない

国によってルールの違う洋装を着こなすというのはとても大変ですが、着物であれば日本のルールで良いので、海外で臆することはありえません。もちろん相手に礼を尽くすための装いですから、自分としてできる限りベストを尽くした和装を選択をする必要はあります。

千原せいじさんのエピソード

私がテレビ番組にベンチャーの呉服屋として出た折、千原せいじさんに

「和服というのは海外に行くとものすごい喜ばれて、特にヨーロッパなんかだと甚平を着ていてもフォーマルだと思われてカジノに入れたりするんです。ものすごい影響力があるんですよ。」

とコメントを頂きました。甚平でカジノに入るかどうかの判断は人それぞれとしても、外国の人にはそのぐらい着物のルールはわかりません。ですから一般的な着物のルールさえ守っておけば、まず恥をかくことはないと言えるでしょう。

日本人でさえ着物のルールは分からない

さらにこう言ってはなんですが、日本人だって着物のルールを明確に言える人はほとんどいません。呉服屋だって悩みながらです。

本庶教授は黒の紋付羽織袴のお姿でノーベル賞の授賞式に臨まれました。「黒の五つ紋付」は最も格が高い和装であり、用途としては結婚式の新郎や、叙勲の受賞者などです。ノーベル賞授賞式という場に本庶教授の装いも完璧でした。

せっかくなのでいくつかチェックポイントを書いてみましょう。ちょっと専門用語が並びます。

●生地は羽二重(はぶたえ)で、染め抜きの五つ紋

●白扇(はくせん)を持つ

●長襦袢と額裏(がくうら:羽織の裏地)は白地に縁起物を墨描き

●角帯は綴れ織(つづれおり)

●履物は畳表の雪駄で鼻緒は白(畳の重ねは何枚でも良いと思います。)

●白い衿比翼(仏事にはなし)

●羽織紐は篭打ち(かごうち)が一応正式とされている。

以上が黒紋付のルールとして挙げられます。

昔の着物雑誌などを見てみると、「結婚式において、新郎新婦の父親は年齢に合わせて半衿などはちょっとベージュがかったものや鼠がかった色のものを用いる」などと書かれていたりしますし、袴の紐の結び目などについても、仏事やドレスダウンにより十文字や横一文字、結び切りなどを使い分けますが、そんなことを知っている日本人はそうそういないと思います。比翼も現在は衿元と袖口だけですが、以前は下着と呼ばれる着物と同じものをもう一枚着用していました(長襦袢に加えてです)。本庶教授の装いにも白い比翼の衿が見えます。

現在では黒紋付も99%がレンタルですから、白い比翼、白い半衿が当然ですし、羽織紐は丸組の房がフワッとしたものしかありません。

正式な篭打ちという羽織紐は一見すると夏物に見えて華やかさに欠ける上、存在さえ知られていないので篭打ちの羽織紐をしている人はほとんど見かけません。篭打ちは売れないために、長期間在庫で持っていると絹の白色が生成り色に変色してしまうため、正絹(シルク製)は作らなくなっています。ちなみに本庶教授はこのどちらとも違う、平組というタイプの羽織紐をされていました。房は下の篭打ち写真と同じ「より房」です。

これら全て、どこまでが守るべきルールなのかは何とも言えません。そもそも、そうした細部ルールに突っ込めるレベルの日本人がどれだけいるかという話です。

海外ならば着物の方が簡単

日本人をしてかくの如しですから海外に行ってしまえば、黒紋付に白扇を忘れようが、履物が雪駄ではなく草履だろうが、誰も正解がわかる人はいないでしょう。

洋装というのは昼夜によって着る種類が分けられていますが、和装には昼夜の区別がないため、旅行に携行するとしてもフォーマルウェアは一枚ですみます。おまけに着物は平たく畳めますし、草履は薄い履物ですからスーツケースのスペースも取りません。また、日本での和装は季節に合わせて着物を変えますが、気候風土の異なる海外ではその国で過ごしやすい着物を持っていけば十分です。寒い国には冬物を、暑い国には夏物を。

理由2:日本人体型を強みにできる

ちょっと出典を記憶していないのですが、海外での滞在経験がおありの方の手記に、

「欧米人のスーツは遠目で見ていると上等そうだけど近くで見たらそうでもない。逆に海外にいる日本人は遠目で見ていると貧相に見えるが、近くで見たら上等なスーツを着ていることが多い」

というようなことが書いてありました。この原因は日本人体型の貧弱さという結論でした。日本人が筋トレしてどうこうなるレベルの話ではありません。映画「テルマエロマエ」でローマ人役ができるぐらいでないとちょっと厳しいでしょう。

 

欧米人に比べた体格の差

米軍人と筆者(右)

私も身長は176センチほどなので、日本にいる時に背が低いとは感じませんが、欧米で洋服を着た時は自分の体格があまりに情けなくてガッカリします。海上自衛官だった頃、米海軍の同年代と並んでも背の高さのみならず、その胸板の厚さ、胴回りの太さ、腰の位置の高さなど体格だけは明らかに負けている感覚を持ったものです。

日本人体型の特徴は様々です。背が低い、足が短い、お尻が絶壁、頭が大きい、猫背、中年になるとお腹が出てくるなど。ユニクロはサイズ感がぴったりなのに、ZARAはウェストの大きさや袖の長さなどが体に合わない日本人は多いことと思います。私もそうです。

 

着物を着れば短所が長所に

ただ、そうした短所も着物を着てしまえば一気に長所へと変わります。絶壁のお尻とちょっと出たお腹は角帯にとって最高の土台になりますし、足の長さによる低い重心も格好良く見えます。着物は腕も脚も胴体も、たっぷりした布で包んでしまうので体のシルエットを隠してくれます。

また、一般的に日本人の歩き方は洋服を着ているとだらしなく見えますが、着物を着ると何となく味わい深くも感じられます。洋服と一緒に、歩き方や姿勢も輸入できたら良かったのですが、なかなかそうは行きません。着物で、どっしりと歩く年配男性の風格にはリスペクトを感じます。男はつらいよの嵐寛寿郎さんは最高です。https://www.tora-san.jp/movie/19/

着物は体型のみならず、顔立ちも含めて日本人にマッチするのがお薦めする理由の2つ目です。私も世界における体格差に引け目を感じた時代がありましたが、着物をスタンダードに着るようになってからは、そうした引け目も感じなくなりました。

 

理由3:女性は宝石が必要ない

この記事は男性向けに書いていますが、女性向けのことも書きますと、和装には宝石が必要ないということがあります。

西洋は宝石文化で、貴族階級の方々が受け継ぐ宝石はとんでもない豪華さです。日本人がまともに太刀打ちできるような代物ではなく、洋服だけをバッチリ用意したところで、トドメの宝石がなくては画竜点睛を欠くということになりかねません。さらにはノーベル賞クラスのパーティで皆さんが身につけている宝石はとても数百万円レベルではなさそうですから、そう考えれば100万円〜200万円で着物が一揃い用意できるというのも、着用機会がある人にとっては比較するとリーズナブルなのかも知れません。

 

理由4:自国文化だからこそ本物の洗練ができる

他国の文化で装おうとすると、ミスをしないだけで精一杯です。

私の大好きな作家さん、イタリア在住の塩野七生さんが著した「男たちへ [フツウの男をフツウでない男にするための54章 (文春文庫)」というエッセイにこんなエピソードがありました(手元に原本がないなので少し正確でないかも知れません)。

フィレンツェを訪れていた塩野さんが、街を歩いていると偶然、現地の結婚式に遭遇。地元イタリアの花嫁と、イギリスの花婿が結婚している様子でした。イタリアといえばミラノを中心として発信するファッションが、世界をリードするほどの国。そのイタリア花嫁の親族チームは、正式な礼装であるイギリス式のモーニングをまとっていたのですが、ルール通りのきっちりとした装いだったそうです。ところが遅れて登場したイギリス花婿の親族チームは、モーニング姿であるにも関わらず、カラフルなスカーフを首に巻いたり、ボタンを外したりと、正礼装を崩した装いだったそうです。これを目撃した塩野さんはイギリス男に軍配を上げたと書いていました。

ルールを知らずに装いを崩すのは単なるマナー違反ですが、ルールを深く知った上であえて着崩すのは着こなしと呼べます。そのためにはその服装の歴史や文化まで知り尽くして、たくさんの着用経験があって初めて着崩すことができる、まさしく守破離の世界です。これは我々日本人にとって、いかに洋服を着こなすことが難しいかを知るエピソードでもあるでしょう。少なくともこのぐらいの不利を知った上で、洋服の勝負を挑む必要があるかと考えます。

ノーベル賞授賞式は国王陛下のご臨席で、さすがに服装を着くずすような場面ではありませんし、50年ぶりとなる和装というだけでも十分にチャレンジングで意義深いことですから、本庶教授がきっちりした和装をするだけでその存在感は多大なるものがあったと思います。それにしても本庶教授の紋付姿は威風堂々たるたたずまいです。

理由5:自分の土俵で勝負する

クラシック音楽の小澤征爾さん、メジャーリーグのイチロー選手など、他国のルール上でも偉大な結果を出せる日本人も確かにいます。日本文学者のドナルドキーンさん、社寺建築や茶道で活躍されるデービッドアトキンソンさんなど、海外の方であっても日本のルールで群を抜く圧倒的実力者もいます。

ただ、そうした特別な人たちはいるにしても、基本的にはやはり自分の土俵で戦う方が有利です。

西洋文化を追いかける時代の空気感ではなくなっている。

80年代までは欧米文化が憧れの的でしたが、もはや遠い昔。西洋社会も行き詰まっています。豊かな欧米の暮らしや文化に憧れ、真似をする時代はとうの昔に過ぎ去ったと言えるでしょう。それだけに震災での日本人に世界が賞賛を送ってくれたことは、日本人として自覚を取り戻すきっかけの一つだったと思います。

日本礼賛の風潮

最近、良くもわるくも、日本礼賛の風潮があります。テレビでも外国人に日本の良いところを尋ねる番組などがよくありますし、私も和風総本家の「職人って良いなぁ」を見ていると大泣きします。度を超して日本を持ち上げすぎても意味のないことですが、日本文化はこれまでないがしろにされ過ぎていましたから、多少は持ち上げてもらっても良いのでしょう。何しろ着物の生産量は最盛期の2〜3%ですし(20〜30%ではありません)、良質な製品に至っては0.2~0.3%の生産量かも知れません。

イタリア人の歌舞伎が観たいか?

1つの例としてですが、もしイタリアに旅行するとして、イタリア人が演じる歌舞伎が観たいでしょうか。イタリア人の握った寿司が食べたいでしょうか。歌舞伎も寿司も日本で最高のものが楽しめますから、イタリア本場のオペラやカンツォーネ、最高のイタリア料理が食べたいのではないでしょうか。

それなのに日本人は、イタリアで見て感動した地中海風の住宅を、わざわざ日本の田舎に団地として作ったりします。

たしかに日本の食は世界トップレベルで、イタリア料理でも本当に美味しく提供していると思います。ただ、美味しく作ることはできても、味を超えて、イタリア人のようにイタリア魂のこもったイタリア料理を作ることはそう簡単ではありません。

これからの日本人は自分が勝てる土俵で戦うべき

パリコレに象徴されるようなラグジュアリーブランドの世界観で戦える日本人はごくわずかですが、歌舞伎や茶道、和食の舞台なら日本人の独壇場です。幸いにも長い歴史を有する日本には価値のある文化がたくさんあります。むしろなぜその力を利用しないのかは不思議なぐらいです。結局アピール下手というのは日本人の弱点で、負ける土俵に立つ必要はないでしょう。

 

海外で洋服を着て歩いていたらあなたが、日本人か中国人、日系アメリカ人なのかはわかりません。着物というのは非常に効果的なもので、着て街を歩くだけで見た人全員に日本人としての印象を残すことができるのです。これほど認知されている民族衣装は世界でも決して多くありません。一度、海外の街を着物で歩いてみれば、その影響力を実感してもらえるはずです。

パリで活躍した画家、藤田嗣治さんはこのように述べています。

「私は、世界に日本人として生きたいと思う、それはまた、世界人として日本に生きることにもなるだろうと思う」

 

最後に

衣類が無国籍化した日本人

洋服を初めて取り入れたのは織田信長ですが、一般的に洋服を着る人々が現れ始めたのが幕末ごろでしょう。そう考えると日本人は150年以上、洋服を着続けてきたものの欧米人に張り合えるほど自分のものにもできず、日本人オリジナルだった着物も着ることができなくなっています。つまり衣類が無国籍化した衣類難民と言っても過言ではないように私は思います。

世界一貧しい大統領として有名なウルグアイのムヒカ大統領は「なぜイギリスの服装を世界中でしなければいけないんだ」と、公の場でもネクタイを締めません。日本人がスーツにネクタイを締める理由は「周りの日本人と同じだから」ということだけで、自分で考えていない可能性はないでしょうか。ビジネスシーンで着物を着る必要はありませんが、同様にネクタイを締める必要もないはずです。

 

「恥をかかないための装い」から「尊敬されるための装い」へ

日本は世界で対等に付き合うために洋装を積極的に取り入れてきました。ただ、日本はせいぜい恥をかかない程度の「守りの装い」しかできていません。私は防衛大学校の学生時代、「真の国際人になるには、真の日本人になりなさい」と教わりました。まさしくその通りで、今からの時代には西洋式に合わせて恥をかかないようにというネガティブな発想ではなく、日本人として世界で尊敬されるための「攻めの装い」に代えて行くタイミングだと思います。

プロトコールの専門家にお伺いしたところ、「海外は見た目重視ですから、本庶教授が受賞者席の真ん中に座ったのもバランスをとって真ん中になったのだと思います。和装の本庶教授を受賞者の端にするという選択肢はなかったでしょう」とのことでした。

そうした意味で、今回、ノーベル賞授賞式という国際舞台に和装で臨んだ本庶教授のお姿は、今後の日本人のお手本になるものだったと感じます。その毅然とした様子は、私のフォローしている範囲ですが、海外においても好意的に受け止められた印象です。

そもそもこの黒紋付に袴という和装は、明治時代に日本が西洋化する中で礼装として用いられたモーニングなどに合わせて、定着してきた着物の礼装ですから、今回の写真を見ても洋服の礼装の中に馴染んでいます。黒紋付はとりわけモーニングにインスパイアされたのではないかと推察しますが、燕尾服以上にモーニングの縞ズボンと並ぶとさらによく馴染みます。余談ながら、袴が作り出すシルエットは秀逸です。

 

明治天皇が富国強兵、西洋化のために洋装を取り入れられてから長い年月が経ちました。もはやこれ以上の西洋化は必要なく、今後もし皇族の方々、特に男性皇族の方々が国内外において今以上に着物を取り入れてくだされば、その意味合いはとても大きいと思います。

経済面での存在感

現代世界で日本人が尊敬されるためには、経済的成功がどうしても必要です。私はユニクロが大好きで働いていたぐらいですが、世界で小売商売をやるユニクロのような日本企業がたくさん必要だと思います。出光創業者の出光佐三さんのおっしゃっていた「士魂商才:侍の魂を持って商売人の才を発揮する」という心構えで世界に出て行くことは、最高の存在感に繋がることでしょう。私も呉服屋をやっていますが、目指すところは職人技術をベースにしたアジア発のブランドになることです。

日本で気楽に過ごす時にはジャパニーズな洋服で良いのですが、世界のフォーマルシーンで和装をすれば、きっと最高のご経験ができるものと思います。ぜひこれまで馴染みのなかった皆さんにも、気軽に和装を楽しんで頂けたら嬉しい限りです。

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この記事を書いた人
原 巨樹 (はら なおき)

京ごふく二十八代表。2014年、職人の後継者を作るべく京都で悉皆呉服店として起業。最高の職人たちとオーダーメイドの着物を作っている。

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