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着こなしColumn

【プロ解説】松たか子さんの着物からは”一生語れるだけの知識”が学べます

松たか子さんが2020年アカデミー賞において、ご着用だったお着物がとても注目されたようで着物に携わる人間として嬉しく思います。

冒頭から結論めいたことを書きますが、本当に松たか子さんのお人柄がよく出た素敵なお着物でした。非の打ちどころがない完璧な装いだったと思いますし、それが松たか子さんの場合は今回に限らず、常にどんな場面でもそうだと言えます。

せっかくなので皆さんがご注目のこの機会に、松たか子さんのお着物がどんなポイントで素晴らしかったのかを京都の呉服屋として考察し、皆さんにその価値をお伝えしたいと思います(価格に注目する報道も多いのは仕方ないのですが、そこはあまり触れない内容です)。

そして私は文章が長いので、強調部分だけを拾い読みして頂いてもなんとなく意味は伝わるかと思います。そのかわり読んで頂けば、日本人の教養として着物についておさえておきたいという方にとっては、示唆に富んだ記事になるはずです。

サステイナブルをテーマにしたアカデミー賞

2020のアカデミー賞はサステイナブルがテーマになっていたそうで、ご参加した皆さんのドレスもそうした意識が垣間見られるものでした。

昨年あたり、その前の年と同じドレスを着た方がいて話題になっていました。同じものを何回も着る方がサステイナブルなのは当然のこと。ファッションブランドはサステイナブルさえも売りにした商売になってしまうのは仕方ないことです。

それに対して民族衣装として安定している着物は時代遅れにならず何十年と着られて、身長などの体型差を調整が可能なので、大切にすれば世代を超えて引き継げます。

その意味でも、松たか子さんの選んだ着物は最もサステイナブルな衣装だったのではないでしょうか。

松たか子さんがお選びの着物は「総絞りに刺繍の訪問着」

訪問着

松たか子さんがお召しだったお着物の種類は「訪問着」です。訪問着がどのような着物かといえば、黒留袖・色留袖につぐ、女性の準礼装のお着物です。

見分け方は留袖と同じような格調高い柄行きでありながら、留袖とは異なり上半身にまで柄があるものを訪問着と見分けます。また絵羽(えば)といって、縫い目となる部分で柄が繋がるものが多いことも訪問着の特徴です。

色は朱色系

松たか子さんの訪問着、地色を朱系の色でいえば、「錆朱(さびしゅ)・洗い朱」などと言えるでしょう。

ただ、京友禅を染めている身からすると、結構茶色の要素もあるのかなという気もします。なぜかといえば職人さんに「地味な朱色(オレンジ)で染めてください」というのと「きれい目の茶色(ブラウン)で染めてください」というのと、着地点は近いのですが、ニュアンスが少しことなってきます。例えば京都に行くのに東から行けば東山、西から行けば嵐山に着くことに近いイメージです。

その意味で茶色系ととらえるならば「照柿(てるがき)・樺茶(かばちゃ)・煉瓦色(れんがいろ)」などなどの和の色名もあげられます。江戸時代には四十八茶百鼠などと言われたように茶色の和名は山ほどあったので、様々に当てはめられると思います。

もし私が染めに出すとしたら、ちょっときれい目の茶色と言って長く着られる着物にするかなとも思います。実際、絞り部分の地色はほとんど見えないですし、後述しますが、地色がしっかり出ている松川菱の柄部分も刺繍で縫い尽くされて地色はあまり見えません。

こうした着物は茶色っぽい地色だったとしても、意外に朱色っぽく見えます。色のニュアンスなので、個々人で見える色は異なりますし、色について会話する相手によっても常識は異なります。私も呉服屋だけをやっていた時よりも、職人さんと付き合う悉皆屋(しっかいや)という染めプロデュースの仕事をするようになって、色に対して使うボキャブラリーが大きく変化した経験があるから思うところです。

柄は「松皮菱取り・笠松に波」

松皮菱(コトバンクHPより)

大きく取られている柄は「松皮菱」をあらわしています。ウェブでは高麗屋さんの御家紋「四つ花菱」だという見解も見られたのですが、やはり微妙な段差をつけているのは松皮菱の特徴だと思います。確かに疋田絞りは小さな正方形の連続なので、輪郭がちょっと粗い昔のデジタル写真のようにはなりますが、それでも四つ花菱には見えづらいかなと。

またテレビの解説がネットニュースなどの薄い内容を参考にして着物の解説をしていることが散見されました。現代人の着物リテラシーでは仕方ないのかも知れませんが、より良い情報発信のためにも大手のテレビや新聞に携わる方々にはウェブで検索トップに出てくる情報だけを参考にしない方が良いかなと思います(今回の松皮菱も、着物の図案をウェブでちょっと調べれば分かりそうなものなので)。

話を戻しますが、着物柄においてこうした大枠で区切ることを「〇〇取り」といいます。ですから、この場合は「松皮菱取り」で、その中に刺繍で「笠松(かさまつ)」という松を図案化した模様と、金糸のマツイ縫いで「波」を配置してあります(マツイ縫い、アップの写真で見てないので絶対とは言いませんが、ああいう柄でしたらたいていはマツイ縫いです)。

松川菱に笠松をいれるというおもしろさもあり、松をテーマにした吉祥文様からは古典的なお好みが伺えます。

総絞り・本疋田

染める技法は総絞りの中でも本疋田(ほんびった)と呼ばれるものです。疋田の文字は匹田とも書きます。疋には「並んでいる」という意味があり、田はそのまま「田んぼ」。疋田は「田んぼで稲が刈り取られた後に並んでいる稲の残りの部分が疋田絞りに似ていたこと」が語源のようです。漢字は匹田を使っても大丈夫です。

絞り染めは全世界に自然発生した染色技法で、日本では正倉院のころから三纈(さんけち)といって、蝋纈(ろうけち:蝋で防染)・纐纈(こうけち:絞りで防染)・夾纈(きょうけち:板挟みで防染)の一つ。とても古くからある技法です。防染というのは真っ白な生地を「蝋・絞り・板で挟むこと」によって部分的に染まらないようにしてから全体を染めて、防染していた部分が白く残ることをいいます。絞りは糸を主たる道具として、生地を絞ることで防染しています。

本疋田と呼ばれるからには、「本」がとれた疋田もあります。通常の疋田絞りの場合は様々な技法があるのですが、かぎ針のようなものに引っかけて手で糸を複数回巻いてくくる技法があります。有松鳴海という絞り産地に行った時、その作業を機械絞りと呼んでいて驚いた記憶があります。「手で括っているのに、かぎ針を使っただけで機械絞り?!」と。

ただ、本疋田はやはりすごくて、人間の手と指だけで絞りの作業を行います。生地を指先でごく小さく四つ折りにして、そこを絹糸で8回巻いて、4回くくり、計12回で絞ります(職人さんによって細かい数は違うかも知れません)。くくるというのは結び締めるようなイメージです。

本疋田は巻き数が通常の疋田絞りよりも多いため、とりわけ中心部の点が小さくなります。また粒と粒の谷間にも染料が入り込みづらいというのが特徴です。つまり防染されて白く残る面積が広くなるため、地色が多少濃い色でも全体的に白っぽく見えるのです(後述)。

刺 繍

こちらは報道やネットでも触れられていませんでしたが、笠松と流水の柄は全て刺繍で表現されています。絞り染めと刺繍の組み合わせは桃山時代の辻が花染め頃からよく見られますが、松たか子さんがお召しだった訪問着は慶長小袖(慶長時代:1596~1615年)ぐらいにルーツを感じます。寛文小袖(1661~1673年)でも同じような技法は見られますが、全面にデザインがされているのは慶長小袖のイメージです。

友禅染めが発達する江戸時代前期までの染め物は、絞りと刺繍、あとは金彩で柄を表現されることがほとんどでした。「絞り染め」は細かい柄を表現するのが苦手で、シンプルな染め分けしかできないことに対して、「刺繍」は細かい柄を豪華に表現できるので、お互いに引き立てあってさすが日本人の先輩が考えただけのことはある素晴らしいコンビネーションだと思います。

松たか子さんがお召しだった訪問着の刺繍は、刺繍としてはかなりのボリュームです。松たか子さんの訪問着がどうだったか私にはわからないのですが、現在、一般的にこうしたボリュームのある刺繍は中国で加工されるケースがほとんどです。それはわるい意味ではなく、中国刺繍、特に蘇州の刺繍は、日本の刺繍に比べても細い糸を使うことが特徴で、光沢があり、ボリュームによって大変な豪華さを表現できることが特徴です。30~40年前から日本の人件費高騰にともなって着物では中国刺繍が多用されるようになり現在にいたります。そして中国でさえ人件費が高くなっていますから、ベトナムなどに移っているので中国刺繍も十分な高級品と言えるでしょう。

余談ですが、中国刺繍が細かい糸でボリュームを出すことを得意とすることに対して、日本刺繍は技法を複数使い分けたり、色糸をうまく組み合わせて使ったりすることに長けています。特に私が一番違うなと思うのは感性の部分で、色使いに加えて「間」をうまく使う感覚が日本刺繍の特徴かなと思います。

いずれにしても松たか子さんの訪問着にはとても綺麗な刺繍がほどこされていました。

何よりも素晴らしいと思ったのはアカデミー賞授賞式に「絞り」を選ばれたご見識

これから専門的なことが続きますが、結論として書いてしまうと、

「アカデミー賞はそこまで格式高くないけどラグジュアリーである」

「総絞りと手刺繍の着物はラグジュアリーでありながら、ちょっと趣味性を含んだ着物である」

という2つのことであり、それを踏まえても本疋田総絞りの訪問着をお選びになったというのは素晴らしいご見識だなと感銘を受けました。

訪問着のキャラクター分け

さて、ここで訪問着に話を戻しましょう。一口に訪問着といっても「準礼装・盛装・趣味性のある装い」という3種類の性格に分けられます。

準礼装

フォーマルな雰囲気の訪問着。使われる柄も吉祥文様などで格調高い。

盛装

こちらは豪華さを意識して作られた訪問着。パーティなどで映えることを重視。

趣味性のある装い

フォーマル感というよりも、少し趣味性を出した訪問着。

そもそもアカデミー賞授賞式はどんなイベント?!

アカデミー賞は当然大変な権威ある賞ですが、王族や皇族の方々のご列席というイメージはないですから、格式という観点からいえばそこまで格調高くない式典とも言えます。居並ぶ参加者も映画スター、タレント、ロックスターといった顔ぶれ。

女優さんたちのドレスの露出度は高く、奇抜で個性的なドレスが目立ちます。ハイブランド、最先端のブランドに依頼した衣装はラグジュアリーかも知れませんが、さりとて叙勲やノーベル賞の授賞式といったケースに比べてもらえれば、その差はお分かりいただけるかと思います(エルサ役の皆さんは上品でした!)。

「桜を見る会なら良いけど、園遊会にはやめてね」といえば伝わりますでしょうか(政権担当の方々から叱られますね。お詫び申し上げます)。

総絞り訪問着のキャラクター

訪問着のキャラクター(性格)分けから考えると、今回松たか子さんがお召しだった総絞りの訪問着は「礼装と趣味性のある装いの中間ぐらい」だと私は考えます。

これは呉服屋としてはとてもセンシティブになる部分なので、違うご意見の方がいても尊重しますが、「総絞りはちょっと趣味性がある着物」だと私はお客様にご説明しています。平たくいえばちょっとカジュアルな訪問着だということです。

日本の贅沢な注文服文化

数百万円を超えるような着物がカジュアル!?と驚かれるかも知れませんが、それが世界でもトップクラスの歴史を持ち、贅をこらした注文服文化をつちかってきた着物のすごさだと思います。

歴史上、東福門院(徳川)和子をはじめとして最高の注文服を作る文化が日本にはありました。和子を上得意としたのは雁金屋という呉服屋で、尾形光琳、乾山の生家。豪商の冬木家が作らせた冬木小袖は、尾形光琳が絵筆をふるい、現在も東京国立博物館に残されています。

今に近いイメージでいえば「ピカソやバスキアが絵を描いたドレス」とでもなりますでしょうか。オークションなら数十億円は間違いなしかと。アートは設置場所と限られた人しか楽しめませんが、ドレスになればアートを着て出かけらます。着物はプロデュースによっては「アートとアパレルの真ん中にある衣服」として活躍の場が作れると思います。

もちろんオートクチュールもトップデザイナーが作るデザインや職人技術、ランウェイを含めたブランド力など大変に素晴らしいものですが、注文服文化という文脈でいえば、最新デザインをサイズ合わせでセレブ上顧客が注文するというだけのもの。

着物のお誂えは生地や染め技法などを選び、色やデザインもゼロから作り、それを今や一般の人たちまで体験できるという購買体験です。オートクチュールに対して着物のお誂えがこうべを垂れるほどのものかどうかは、今一度考え直しても良いように思う私です。ブランド力、商売としてはボロ負けですが!

奢侈禁止令により絞りのポジションが変化

ちょっと話はそれましたが、皆さんもご存知、江戸時代の奢侈禁止令で疋田絞りは贅沢すぎるということで禁止されました。そしてその頃、昇る朝日の勢いで発展したのが友禅染め。この流れでフォーマルな着物は友禅染めが中心となってしまったという経緯があります。

私はこの話を日本でも最高の絞り染め産地、愛知県の有松・鳴海にある老舗絞り屋さんのご当主にお伺いしました。すでに亡くなってしまった方ですが、大変に絞りを愛して深く研究してらっしゃって、私は何度もご指導いただきました。

その方からは絞り染めはそうした経緯で「フォーマルの本流から押しやられてしまったが、江戸時代には最高級のフォーマル着物だったのだから、現代でも絞り染めをフォーマルな場面で着ても良いのだ!」と教えられました。

呉服屋として絞りに対する見解

確かに江戸時代のころまでは第一級のフォーマルの装いだったと思いますし、私もそのご当主の絞り染めに対する愛情などまで含めてくみとりたい思いはあるのですが、呉服屋として働いてみて多くの呉服店のベテランが「絞りはちょっと趣味性の高い(カジュアルな)もの」と認識していることを感じています。

着物のルールは法律ではないので、どこかに明記はされていません。そのため特定のルールを適用するべきかどうかは「そのルールを、着物を着る人たちや呉服屋が信じている割合がどのぐらいかという体感値(つまりなんとなく)」によって判断すべきだと思っています。

さらには「現代はお客様が着物のルールに詳しくないことが前提」なので、やはりお客様にリスクが少ない、後ろ指をさされる可能性の少ないロジックでお薦めすべきだと考えています。

そうなると絞り染めについてはその意味でも絞りの訪問着はまだ趣味性がある着物と認識されていますから、叙勲など友禅の色留袖を着る人が多いような場面において絞りの訪問着をお召しになってくださいとは言えません。

絞りの着物の例外ケース

もちろん法律ではないので、上記のような着物ルールを踏まえつつも、ご自身が絞り染めのメーカーさんや職人さんであったり、絞り産地に住む方、絞りを特別に愛する方ということであればそれぞれのご判断によります。

もう一つ思い浮かぶ例外があるとすれば、絞りの「振袖」はフォーマルな装いとしてOKかなと思います。絞りの振袖は色数が少ないためシンプルになりやすく、昨今の柄で埋め尽くされた友禅の振袖よりはずっと上品なものが多い印象です。

また振袖を着るぐらいのお嬢さんには、七五三や十三参りの延長で、そこまでしきたりをやかましく言わなくて良いかなという印象もあります。

着物のルールの考え方

着物のルールは体感値で決めると書きました。いくつか例を出してみましょう。

紬(つむぎ:カジュアルな着物)を結婚式に着ても良いでしょうか? → おそらく着物にくわしい人達の9割以上は結婚式に紬を着てはいけないと考えているでしょうから、やめておいた方が良いでしょう(新郎新婦がアロハスタイルの結婚式などまである時代ですから、そういう時は問題ないかと)。

銀座に浴衣で行って良いのか? → 古き良き銀座を知っているような方は、素足で下駄を履いた浴衣姿では銀座に行けないと思っている人もいらっしゃるでしょうが、近年は銀座をあげての浴衣イベントもあるので行き先によってはOKだと思います。

歌舞伎を浴衣で観劇するのはOK? → 特別な場合は除いて、素足に下駄のような浴衣姿は控えた方が無難です。歌舞伎ファンの方が「浴衣での観劇はありえない」と仰っているのを時々お伺いします。

たずねられるとなかなか難しいと思われませんか。ですから私は自分の呉服屋としての仕事のひとつが「特定の着物ルールについて、プロと着物ユーザーがどのように考えているかを常々ウォッチすること」だと思っています。

その大勢を見極めるのが簡単ではないですが、着物ユーザーにもまずは理論武装をして頂きたいと思います。ルールを知った上ではずす分には、道ゆく”着物警察”に指摘されてもうろたえずにすむのです。

残念なことですが、高額な着物を売りたいがために「なんでも大丈夫」と言って販売してしまう呉服屋が山ほどいますので、着物ユーザーにはなるべく基礎ルールを抑えておいてもらえたら安心です。

着物のしきたりを難しくしたことがハードルを高くしている

こうした小難しいことを書いていると、

「あなたのような呉服屋が着物のルールをややこしくしてしまったから、着る人がいなくなったんだ!」という論を展開される方もいるかなと思います。

確かにそれはその通りです。ただ、私もこうした昔ながらの着物のルールを誰もが守る必要はないと考えています。

京都では地元の人によく揶揄されている観光用のレンタル着物ですが、私は貸す業者側の見識に改善点はあるとしても、海外からの旅行者や日本の若者が「着物を着たい!」と思ってスタート地点に立ってくれていることが何よりも尊いことだと思います。そうした若者がちょっとぐらい奇抜な着物を着たりルールを間違えたところでかわいいものです。

そして40代、50代ともなってくれば、そのしきたりの世界で遊べるようになるのが大人の楽しみというもの。サッカーが手を使えないから面白いのと同じように、ルールをうまく味方につけて、日本が積み上げてきた美意識を可能なかぎり残しながら着物を発展させたいと考えます。

もう少しいえば、着物のルールを単に緩めればそれで着る人が増えるともいえません。購入、入手の手段や着装方法、立ち居振る舞い、クリーニング、保管など、現代日本人には慣れないことばかりです。

しきたりは「野暮と粋の線引き」において大切なことですから、これからも時代を見つつお伝えできたらと思います。

松たか子さんが表現されていたもの

前提条件をお伝えするのが長くなりましたが、松たか子さんはそんな着物のトップオブザトップの世界をご存知の方。そんな松たか子さんだからこそ絞りの訪問着を選ばれたのではないでしょうか。

改めてご説明するならば、アカデミー賞はそんなかしこまった場面でもないけどラグジュアリー。総絞りはラグジュアリーだけどちょっとカジュアルな準礼装ということですから、日本を代表して、しかもアカデミー賞授賞式で日本人初の歌唱を披露されるというタイミングで素晴らしいご選択だったと思います。非常に上質かつ品のあるお着物姿には、いつもネット民によって大変なことになっているYahooニュースのコメント欄でさえ、松たか子さんの総絞りが褒めちぎられていたことにも日本人の賛意が垣間見えます。

もし日本人歌手が花魁みたいな格好をして世界の舞台に出たとしたらネットは炎上しますよね。確かに私も花魁姿はお薦めしませんが、アカデミー賞に出ている方々のド派手なドレスに比べると花魁もアリかも知れません。

そんな選択肢も考えられる中で、松たか子さんは着物の素晴らしさ、日本人女性の上品さを、誰もが納得する形で見事に伝えられていたかなと感じました。

帯のコーディネート

ここで帯のコーディネートにも触れておきたいと思います。今回の帯は、アップで見ていないので分かりませんが、おそらく箔糸(はくいと)という金箔を貼った和紙(もしくはフィルム)を切って糸にした平たい糸を織り込んでいる引き箔の帯ではないかと推察します。

柄は花菱入り七宝繋ぎ(はなびしいりしっぽうつなぎ)などと報道で言われていて丁寧だなと思いつつ、帯に用いられる七宝柄はだいたい花菱が入っているし、七宝も常に繋がっているので、呉服屋だと「七宝柄ですね」と言ってすませてしまうことを一応代弁したいと思います。

私も今回「そうか、そういえば花菱入りだよな」と思い出してドキッとしたぐらいです。

合わせる帯によって装いの格が変化

着物は合わせる帯によって格調を変化させられることを覚えておいて頂きたいと思います。もちろん着物の格調をベースとしますが、その中でも合わせる帯をカジュアルにするか、フォーマルにするかといったことで、装いそのものの格調を変化させられます。

松たか子さんがお召しになった総絞りの訪問着は少し趣味性がある(カジュアル)お着物でしたが、格調高いフォーマルな帯をしめてらっしゃいました。箔糸で織り出された七宝柄は、どこまでも続く連続柄で吉祥文様とされています。

今回の松たか子さんの帯合わせは、絞りのお着物に合わせる帯としては格調ある雰囲気で、着物を格上げし、フォーマル感を演出されていました。

つづいて格調を調整することと別の問題として、いわゆるセンスの良し悪しという観点についても触れたいと思います。ここはかなりマニアックなポイントですが、気づいて頂けると着物が好きな人たちは「ホーッ」と納得できるポイントかと思います。

素材のコーディネート

松たか子さんのお着物コーディネート、私が素敵だったなと思うのは「朱色を一つのテーマ色」とされていたことです。そして、それを「異なる素材感」と「色面積の差」で見せていました。これは簡単なようでなかなかできないことです。

よく着物の世界では「染めの着物に織りの帯、織りの着物に染めの帯」ということが言われます。これはシンプルにいえば素材感が異なるものを合わせましょうということ。今回でいえば、絞りの着物は染めなので柔らかく、しかも絞りなので凹凸があってふっくらした印象です。それに合わせた織物の帯は、金の箔糸が使われて豪華さが見受けられます。

色面積の差を利用してコーデ

このように素材感を変えるのはフォーマル着物ではスタンダードなことなのですが、松たか子さんが「着物と帯を同じ色にしている」というのはとてもハイレベルなことだと思います。なぜならば同じ色にすると全体がぼやけてしまって、普通ならメリハリのきかないコーディネートになってしまうからです。

松たか子さんは「朱色の面積の差」を利用してメリハリを効かせていたのですが、これを実現していたのは「本疋田」の力によるものです。

本疋田は白く見える

本疋田は先述のとおり、糸で巻きくくる回数が多いため、防染が強く白い部分がたくさん残ります。そしてその染めはとても気を遣いますし難しいもの。

私も3年ほど前に、本疋田の絞られた生地を職人さんに依頼して染めてもらったことがあるのですが、本当に何回もやり直しました。染めにはとても気をつかい、くくった職人さんの力加減を考慮しながら、それによって染める時間を変えなければいけません。

また、染める前に真っ白な状態の絞り生地を糊に付けるのですが、その糊のかたさによっても、染料が生地のどこまで入り込むかが変わってきます。しっかりと糊をつけたら、染め上がって絞りを解いた時にできる谷間に入る色が減り、全体的に白っぽく見えます。糊をあまりつけずに長時間染めれば、谷間にもしっかり色が入るのですが、それはそれで本疋田らしからぬ仕上がりになりますから難しいところ。絞るために1年もかけた生地を、わずか数時間の作業でダメにしてしまうのは恐ろしいものですから、職人さんは常に真剣勝負です。

本疋田の白さがあるからできる同色コーディネート

粗く絞られた突き出し鹿の子絞り(有松鳴海絞り会館HPより)

コーディネートの話に戻りますが、同じ朱色の帯に合わせていてもメリハリがきいた装いになっているのは、この「本疋田の白さがあるから」です。疋田絞りの中でも粗く絞ったものだと地色が目立ってきますので、本疋田ほどは白っぽく見えないものです(本疋田に比べると、左写真の絞りは中心部の点が大きめです)。

この本疋田の白さを利用して、同色である朱色の袋帯をコーディネートされているのは素晴らしいなと思います。

松皮菱の朱色にも注目

ここでもう一つ注目したいのが、総絞り着物の松皮菱の部分。松皮菱は本疋田の地色と同じ朱色であるということはお分かりいただけますでしょうか。本疋田は白い部分の面積が大きいために薄い朱色に見えていますが、松皮菱の地色と同じ色です。

絞り染めの直後は刺繍がまだ入っておらず、白く見える本疋田に対して松皮菱はかなり目立ったのではないかと思います。そこを今度は刺繍によって「目立つ松皮菱の朱色の面積を減らして」います。しかも多色づかいの刺繍をすることで着物のメイン部分として際立ちます。

刺繍っぽく見える帯(唐織)を合わせなかったこと

さらに普通は気付きづらいことを書きますけれども、通常、帯には一見したところ刺繍のように見える唐織(からおり)という織り方があって、これが非常にメジャーな帯でよく用いられます。ところが、今回コーディネートされている帯は箔糸というペタっとした印象の、それも金色だけで柄を織り表した帯です。

引き箔の帯の輝きにご注目(スポーツ報知より)

もし唐織の帯にすると、着物の刺繍よりも帯の唐織が目立ってしまうので、着物の刺繍はあまり目立たなくなっていたかと思います。実際、肉眼で今回の帯を見れば、松たか子さんが動く時にその箔糸が控えめな豪華さでキラキラと光って見えたはずで、着物の刺繍とは異なる素材感が際立ったと思います。

その意味でも技法・素材感を複雑に組み合わせているなということが伺えます。

それがなんだと言われるかも知れませんが、さりげないんですけどそれぞれの職人さんの技法がしっかり見えるコーディネートになっているということはすごいことです。考えすぎかも知れませんが、絞りの職人さん、刺繍の職人さん、西陣織の職人さんの仕事ぶりがお互いに引き立てあっていて、それを控えめなトータルコーディネートの中で見せてくださるというのは、なんとも行き届いたコーディネートだなと思うわけです。

総絞りの着物のラグジュアリー

アカデミー賞で着るとしたら友禅の華やかな訪問着でも構いませんし、格調の高い色留袖などでも良かったかも知れません。それでも一見すると控えめな総絞りを選ばれたという点にも注目してみましょう。

総絞りの振袖は絞りが20万粒

総絞りの振袖にくくられた粒は20万粒とも言われます。松たか子さんのお着物は訪問着ですから、袖が短い分15万粒といったところでしょうか。それでも完成までには1年半ほどかかるようです(京鹿の子絞振興協同組合より)。

そこにさらにボリュームのある刺繍が加わりますから、仕立てなども加えると3〜6ヶ月はかかると考えられます。長く見積もれば2年は制作に時を要したということで、そんな衣装を着ているアカデミー賞参列者なんていなかったのではないでしょうか。そしてそれだけ時間をかけているにも関わらず、そんなに派手に見えないということも日本人としては特筆すべきかと。

偏見ですが、アメリカやヨーロッパで2年もかけて衣装を作るとなれば、20メートルもあるロングドレスとか、どれだけ豪華に見えるかということが伝わるような衣装になりそうな感じがします。

ところが、日本人が作るとそれだけ時間をかけておいて、控えめに見える衣装ができるという不思議な現象がおこります。

それをして「パッと見で地味に見えるのはダメじゃないか」という日本人の意見もありましたが、それは美意識の問題ですし、お人柄が見えるところだと思います。誰が何を着ても、それが注目されてしまえば全員の賛成を得るのは無理ですが、それでも8〜9割の日本人に「素敵だったよね」と言ってもらえている松たか子さんの装いはすごいなと思います。

シンプルなものほど難しい

1年半もかかる総絞り。それなら複数の職人さんで分担してやれば良いじゃないかというご意見は鋭いと思いますが、なぜそれをしないかといえば、違う人がくくると力加減やつまみ方が違ってしまうため、染め上がりが微妙に異なってきます。何しろ同じ職人さんが全てをやっても、体調や心理状態で仕上がりが異なるのです。午前中にやった作業と、お昼をとるために腰をあげた後ではもう仕上がりが違うともいいます(普通の人が見てわかるレベルではありませんが)。

これはくくるだけのシンプルなプロダクトゆえの難しさなのですが、無地の生地を手織りする職人も同じことを言いますし、扇子職人でも真っ白な無地の扇子が一番気をつかうようです。盛りだくさんに柄を染めたりデザインしてあれば、その柄である意味ごまかせるのですが、シンプルになればなるほどちょっとしたことが目立ってしまいます。でもシンプルなので価格は安く、職人さんは大変です。

日本人の細部に対するこだわりだなと思います。

日本人は決められた枠組みの中で目の前のことを最適化するのに長けた国民性だけに、そうした細かいこだわりを発揮するものの、本質を忘れて部分最適化のために全体に無理をさせるというデメリットには気をつけたいものです。

着物は余裕を持って誂えるもの

毎年おこなわれるこうした世界的イベントや、各ブランドの新作発表前は制作が殺到して、大変な状況になるようです。数ヶ月前やせいぜい半年前の発注によるのかと思います。

ところが、今回のような総絞りなんていう着物は、手間が掛かりすぎて準備ができない着物です。その意味でも自分にはそうした機会があるという認識のもと、余裕がある時に準備しておかねばなりません。

京鹿の子絞り・有松鳴海絞り・中国産絞り

さて、ここで生産地の現状についても少し触れたいと思います。

京鹿の子絞り

「総絞り」なんて聞いた一般の方々は「やっぱり京都の職人さんが作っているんだろうな」とお考えになるかも知れません。そして京鹿の子絞りは国の伝統工芸品にも指定されていますから、確かにかなりの商品を作っているとは思います。

ただ、本疋田に関していえば、京都でも本疋田専門に近い職人さんは1〜2名しかいないのではないかなと思います。そしてその人たちでさえ常に本疋田をやらせてもらってはいないように思います。もちろん他にも本疋田の技術を持った職人さんもいるかと思いますが、たいていは他の絞りや仕事をしながらですから、やはり専門にやる職人さんには勝てないものです。

「本疋田の総絞りを作る」ということを絞りメーカーが決めたら、それだけで京都では噂が立つと聞きます。1〜2年はお金に変わらない商品を作りますから、職人さんにはその期間前払いしながら、リスクのある物づくりをするわけです。苦境に立たされている呉服業界において、そこまでのチャレンジをするメーカーはなかなかありません。贅を凝らした着物を作ったところですぐに売れる時代でもないですから、さらに難しいところです。

有松鳴海絞り

そんな京都ですが、実際のところ日本で一番絞りを作っているのは愛知県の有松・鳴海で、日本産の90%は有松鳴海の絞りだと言われています。京都からも多くの絞り商品の製造を有松鳴海に委託して、京都の問屋を通して出荷されます。

有松鳴海は絞りに関しては聖地とも呼べるすごい地域ですが、それは後述します。そんな有松鳴海でさえ、生産される商品の9割以上は中国で絞られたものと言われています。

中国絞り

人間一人が長い時間をかけて絞る作業を行うため、80年代あたりから日本では人件費の問題が出て、中国で生産されるようになりました。2000年代にあっては中国でこそ最高級の本疋田が絞られていたと聞きます。そしてその中国でもすでに最高にうまかった職人さんは引退しているようです。

最後に消費者に注意してもらいたいことを書くならば、本疋田に限らず「京鹿の子絞り」という伝統工芸品のオフィシャルな札が付いていたとしても、京都で絞ったということは保証されていません。普通の人は京鹿の子と聞けば京都で作っているんだろうと思い込んでしまうので、この札はミスリードで良くないなとは思います。呉服屋でもそう思い込んでいる人が山ほどいます。

一般の方が国産か中国産かを見分けることはできませんが、絞りの数が少ないものは別として、疋田絞りや本疋田のようなものは概ね中国絞りだと思っておけば無難だろうと思います。総絞りの訪問着は500〜800万円でしたらほぼ中国産です。もちろん20〜30年前に京都で作っていた掘り出し物ということはあるかも知れません。

実は絞りは世界で人気

実は絞り染め、英語でいうところのtie-dyeingは世界的にディープなファンがたくさんいます。着用する人たちはもちろん、手作りで作品を作る人たちが世界中にいるそうです。

絞り染めには世界的なシンポジウムまであります。World Shibori Network

私が有松・鳴海絞り会館を訪ねた時に購入した絞り技法の解説DVDはなんとアメリカの会社が製作していました。英語と日本語で見られたのですが、若干日本語があやしかったぐらいです。さらに有松鳴海の方にお伺いしたのは、マサチューセッツ工科大学に絞りを研究する会があって、そこの学生さんたちも学びに来たとのこと(ネットで調べましたが、真偽はわからず)。

絞り染めは古代から世界中に自然発生していますが、日本の絞りに比べるとラフでざっくりしたものが多い上、世界の産地には片手で数える程度しか絞り技法がないことに対して、有松鳴海の最盛期には200種類もの絞り染めがあったそうですし、最近でも100種類の絞りが残っているとも言われました。世界のマニアにはShiboriで通じるらしく、有松鳴海は絞りの分野では聖地とも言える地域です。

総絞りの着物の仕立て

一般的な訪問着の仕立てでも当然すべて手縫いですから工芸的な作業です。ただ、総絞りに関しては絞られたことによる生地の凹凸に気づかって仕立てをしなければなりません。凹凸があるということはそれだけ生地が余っているわけで、それを普通に仕立てて着用すると、特に正座をするなどした場合、膝やおしりなど圧力のかかる部分はすぐに絞りが伸びてしまい、ひざが抜けてみっともないことになってしまいます。

そこで総絞りのお着物の場合は、裏にゴースというごく薄いシルクの生地を縫い付けて裏打ちをします。この生地は斜めに白い糸で縫い付けるのですが、絞りで白くなった部分を拾うように縫い付けていきます。

仕立ての前には湯のし作業で生地幅や凹凸の状態を整理しますが、普通の生地に比べると絞りの凹凸により、相当に気をつかう仕立てであることは間違いありません。

総絞りの着物のお手入れで気を付けること

せっかくなので注意点として書いておきますが、クリーニングにおいてもシワ伸ばしだからといって、アイロンでプレスなんてしてはいけません。絞りの凹凸がなくなってしまって大変なことになります。

また「洗い張り」という着物を解き、反物状態にして経緯(たてよこ)方向に強いテンションをかけて水洗いする大掛かりな仕立て直しがあるのですが、この作業も絞り染めの着物はできないと思っておいてください。洗い張りをしてしまうとせっかくの凹凸が全てなくなってしまいます。呉服店の店員さんでも知らない人は多いので、クリーニングや仕立て直しを頼む時にはしっかりと理解した知識のある人に頼みましょう。

松たか子さんのお着物姿は常に安定した古典的・正統派スタイル

ちょっと不躾かも知れませんが、一般の方が上品な着物姿を目指そうと思えば、皇族の方々の選ばれるお着物をご参考にされるのが一番です。続いてもう少し身近な存在として芸能人の方々の中でいえば、松たか子さんのお着物姿は是非ともご参考にして頂きたいなと思います。

その昔、富士フィルムのCMで松たか子さんがお召しだったお着物もきちんとした感じが出ていました。なぜそれを記憶しているかといえば、私の不確かな記憶ですが、一緒に出演していたお若い女性タレントさん達の着物が、比較すると今っぽいお着物でした。そのタレントさんがどなたかだったかさえ覚えていないのですが、同じCMに出ていた松たか子さんのお着物は「明らかにきちんとした昔ながらのお着物」だったので、その良さが際立っていたように覚えています。

そのお若い女性タレントさん達はおそらくスタイリストさんが選ばれたのではないかと推察します。それに対して、これは推測でしかありませんが、松たか子さんはご自分のお着物で撮影に臨まれたのではないかとその時に感じました。もし松たか子さんのお着物をスタイリストさんが選んでいたとしても、そのお若いタレントさん達のお着物を選んだスタイリストさんとは別のスタイリストさんだろうと思います。そのぐらい感性がちがったと思います(こうした撮影ではスタイリストさんも制約が多くて大変だろうなとは思います)。

今回のアカデミー賞でもそうですが、どんな時でも松たか子さんは古典的、正統派趣味のお着物をお召しになっています。もちろん映画などで役柄に合わせたり、スタイリストさんが選んだお着物を着ることもおありと思いますが、どう見てもご自身のお着物を着てらっしゃるなという時は上品で、着物好きの人なら誰もが好感を持つようなお着物をお召しです。

通常、歌舞伎役者の奥様がお召しになっているお着物というのは、一般の人のお着物にくらべるとすごく粋(いき)な着物のお好みです。それがものすごくカッコ良いのですが、それはお立場や雰囲気があってのこと。でも、松たか子さんのお着物のお好みはそうしたお家の方でありながら、もっと優しくてどんな人も好感を持ってくれるお着物が多いなと思います。

若い人が目標にすべき人がもっと注目されてほしい

芸能界のこと、私はまったくわかりませんが、若い人が参考にしたり目標にしてほしい松たか子さんのような人がもっと色んな場面で露出してくださると良いなと思います。

それは言葉遣いであったり、ファッションであったり、コメントであったり。着物選びもそうですが、やはりお人柄がすべてです。ご人徳の高い人が着物を選ぶと、やっぱり上品なものを選んでいるなと思います。そうでない人が選ぶと、どんなに高い金額を払っていても押しつけがましい装いになります。もっといえばまったく同じ着物を着ていても、上品な人は一層上品に見えるので、上品な着物姿を目指そうと思ったら、人徳を高めるのが一番です。

松たか子さんのおかげで着物が大変に注目されました。絞りも人気が出そうで嬉しいです。

大変長い文章にお付き合い頂き、ありがとうございました。お時間はかかったかも知れませんが、一生語っていただける程度の知識にはして頂けたんじゃないかと思います。

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この記事を書いた人
原 巨樹 (はら なおき)

京ごふく二十八代表。2014年、職人の後継者を作るべく京都で悉皆呉服店として起業。最高の職人たちとオーダーメイドの着物を作っている。

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